2013年2月3日日曜日

「ノーモア」に祈りと決意を込めて

 ネットワークの名前について考えている。「ノーモア放射能」と聞いて、人は何をイマジネーションするのだろうかと・・・・・

 よく耳にする「ノーモア広島・長崎」  では、「~は二度とくりかえさない」「~はもうたくさんだ」という意味で "NO MORE" が使われている。当然、「ノーモア放射能」においても同じ意味なのだが、その命名は今日の私たちを脅かしつつある【放射能安全神話】を意識してのことであった。

 大方の御用学者の方々は、「すでに私たちのまわりには放射能がたくさんあります。だから少々放射能が環境中に増えても大丈夫です」というような結論めいたことを話す。でも、それを聞いてもなんか腑に落ちない。直感で「ヘンだな~」と思った。

 「ノーモア放射能」のキャンペーン開始宣言文(2012年2月14日発表)の中に、以下の文章が含まれていた。

 「見えない放射能はすでにたくさん私たちのまわりに存在しています。自然放射能、核実験に由来する放射能、スリーマイルやチェルノブイリ原発事故で放出された放射能など・・・。それらに加えて、福島第一原発事故の大事故に由来した大量の放射性物質の降下。食品に入り込んだ放射能。人類が管理できない放射能が私たちの生活空間に大量に放たれています。ただそれは見えないだけなのです。
 もう私たちは十分です。これ以上の放射能はいりません。
 子を生み育て、命をつなぐ環境が放射能で破壊され、地球上に命が誕生してから続いてきた生命維持活動が機能不全となる未来を、子や孫、その後に続く世代に残すことはできません。」

 このキャンペーン開始宣言文を書いたとき、漠然とした不安があったが、今はその不安が解消されずに、さらに拡大してきている。

 「ノーモア」の言葉の響きは、「祈り」に近いものだったかもしれない。しかし、今、その言葉の響きは、私が出合った多くの広島・長崎原爆被害者の力強い「決意」に連なっていくのだ。忘れることができない彼らの決意を今一度、私は「ノーモア」に込めたいと思う。

ノーモア 広島
ノーモア 長崎
ノーモア ビキニ
ノーモア スリーマイル
ノーモア チェルノブイリ
ノーモア 福島
ノーモア 被爆者
ノーモア 被曝労働者
ノーモア 核兵器
ノーモア 核実験
ノーモア 原発
ノーモア 放射能

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